上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「カラダ探究家」と名乗っていましたが、
改め、

「カラダ探険家」

とすることにしました。


なぜ探険するの??
そこにカラダがあるからさ。


奥深くへ進んで行って、
そこに何があるのかを実際に体験してみたい。

何か目的があって、そこに進み入るわけではない。
探険って、それ自体が目的。

私がやりたいことって、そっちかなあ、と。


言葉って大事だよね。

自分の中にあるものに、間違えた冠をつけると、
逆に、言葉として形になったそっちの冠の方に自分を合わせようとしていっちゃうから。

本当にピタッと来る言葉を冠にしたら、
ぶれずにいられる。


今回「探険」っていう漢字も、
探検と探険があるって初めて知ったのでした(みんな知ってた??)。

「探検」は、漢字の意味から、探り入って検証する、よくよく取り調べる、というニュアンス。
「探険」は、「探検」よりももう少し、険しいところを進んで行く、というニュアンス。

これ、どっちを使うか迷った。

字面としては「探険」のが、圧倒的に好きなんだけど、
なんか、あえて危険を冒さなくても・・・そういうのを選ぶあたりが、人生に困難を呼ぶんだろうな、とも思ったり(笑)。
だけど、取り調べる、ってなんか書類をチェックするみたいな・・・事務的でロマンが無いよな…とも思ったり。

危険を冒す、というよりも、
「カラダ」という大いなる自然への畏敬の念を表現してくれるのは、
やっぱり「探険」かなー、と思ったので、こっちを採用。


カラダって宇宙と直接つながってると思うんだよね。

宇宙って、場所としての宇宙っていう意味ではなくて、
いわゆる、ワンネス、とか、大いなるもの、みたいな概念を含んで捉えてます。

が、ちょっと長くなりすぎるし、まとめきれる自信が今は無いのでここでは割愛。


「感覚」をたよりに、カラダを探険することは、
宇宙と交感すること。

ついでに言えば、それが「踊る」ということだと思う。

だから、「カラダ探険家」は、ワタシ的には「ダンサー」と同意語なのでありまする。


―――――

今週日曜 15日の18時開演です☆

ZIZAIKAN
『ベーシストとダンサーの即興コラボ』


即興だから、当たり前なんだけど、
事前の打ち合わせも顔合わせも一切無いのです(笑)。

共演させていただくベーシストの方がどんな方なのかも全く知らずに当日を迎えようと思ってます♪

お時間と興味のタイミングの合う方、
ぜひお立会いくださいまし。


image1.png

スポンサーサイト

これで正しいのかどうかなんて、今の段階では誰にもわからない。

ああやっておけばよかったのに、みたいなことは、
その時点での現実に不満が無ければ生まれない。

現実を心底楽しんでいれば、
過去はすべて「それでよかったんだね」という出来事として認識される。

だったら、
その都度の「今」、在りたい在り方を試していくしかない。

というわけで、
関節リウマチだろうがなんだろうが、
気にしない。
という在り方でいることにしました。

「ワタシ、失敗しないんで。」
ってやつです。
「ワタシ、骨変形しないんで。」
みたいな感じ(笑)。


ほんとは、
多分私の意識がこの症状を創り出しているんだと、私は思ってる。

この症状があることで、私が受け取ってるメリットって何?と思ったら、
「この症状があれば、1歩踏み出さなくても言い訳が立つ」ってこと。
「まずは病気を治してからだよね。」っていう時間稼ぎができるってこと。


いつまでもそこにいたくない。
いつまでも、自分自身を被害者にして閉じ込めておきたくない。
いつまでも、アタマの中の理想論だけを語る人でいたくない。


意識が世界を創るっていう世界観から考えたら、
症状の有る無しに関わらず動き出してしまうと、
症状自体に何か変化が起こるんじゃないのかな?

・・・という仮説。

いざ、実験開始でございます。


もうひとつ、今日ふと決めたこと。

カラダを動かすと、
ココロは勝手に連動する。

カラダがゆるめばココロもゆるむし
詰まれば詰まるし
ひろがればひろがるし
通れば通るし。

だから、
もうココロの面からのアプローチをやめて、
カラダのことしかやらないことにしました。


カラダのことしかやらない、という在り方で、
ココロはいい感じでいられて、
私が望むように生きていけるはず。

・・・という仮説。

こちらも、実験開始でございます。

―――――

そんなタイミングでのダンス公演。

「ダンスの公演」は久しぶりだけど、
ここ10年以上ずっとやってきた 数え切れないほどのセッションは、
私にとってはダンスそのもの。

その場でちゃんと「今ここ」にいたら、それだけで大丈夫だってことを知っている。

その経験を持って、踊ることが とても楽しみ☆

お時間と興味のタイミングの合う方は、ぜひお立会いください☆
出演順、1番目ですー。

image1.jpg

変化って、
破壊→リスタート/再生
というプロセス。

どんなに「リスタート」の先に希望が満ち溢れてても、
「破壊」のところでは感情が大きく動くものなんだなあ、
と、ここ数日切実に感じています。


昨日横浜に引っ越してきて、
感覚としては「ただいまー」という感じになるかと思いきや、
やっぱり、というか、予想以上に
今までいつも当たり前に身近にあった環境と離れることに
ものすごくものすごく引っ張られてる。


人をはじめ、空気の匂いとか、景色とか、音とか、手触りとか、
いつも身の周りにあった、慣れ親しんだ本当にいろいろなもの。

思い出すだけで大きく感情が動いてめそめそしてしまうんだけど、
悲しいとか、苦しいとかとは違う、
これって、なんだろう?とここ1週間くらいずっとその感情の様子を感じてました。


しっくりくる表現がなかなか見つからなかったけど、
「壊れることの寂しさ」っていう言葉が昨日ふっと浮かんで、
しっくりとおさまる感じになった。

寂しさにフォーカスすると、壊したことを後悔しそうになるけど、
少し先の未来の私が、
壊したことによって新しく生まれたものの方がやっぱ素敵だったわ♪
と思うんだろうな、ということもわかっている。

だったら、落ち着いて寂しさもちゃんと味わおう、と思った。


次々にどこからか溢れてくる「寂しい」という感覚に
私のコントロールはおよばない。
操作できないところで、ふつふつと勝手に湧いてくる。

それを、ただただ味わうことができるって、
なんかすごい豊かな体験な気がして、
昨日は電車の中でめそめそしながらも
その発見に静かにテンション上がってた(笑)。

感情に飲み込まれずに、
その背後の自作ストーリーの悲劇のヒロインごっこにならずに、

感情をただ感覚として味わってみたら、
そこには本当に稀有な体験がある。


この体験をするために、
みんなこの地球に感覚を持った肉体として生まれてきてる、って
いろんな人がすでに言ってることだけど、
それがすごく納得できた気がした。


・・・そんなわけで、
今日からまた、「湘南寄りの横浜市民」になりました。

真鶴にはまた11月にイベントで行きますよん。

―――――

JIZAIKAN主催
『ベーシストとダンサーの即興コラボ』

スタジオオッタンタstudio80
ダンサーとして出演します★
お問合せは会場に直接、または私まで。

DSC_0095-3.jpg




最新記事

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。