痛みがなかなか引かない手首と膝。
あんまり重大に考えてなかったんだけど、
「関節リウマチ」の可能性が出てきて
引越し後も病院とのお付き合いが続くことになってしまった。

で、もしその診断が確定になって、治療することになるのなら、
わけもわからずのみこまれるんじゃなく、
主体的にそこに関わりたいと思って、いろいろと調べてみた。


ネットで調べると、
まーーーたくさんの情報がざっくざくと出てきます。

いろんな立場から、
いろんな人が
「自分にとっての真実」を語りまくっている。

たくさんの情報に触れているうちに無自覚に翻弄され、
結果的に混乱状態に。

そして、そうやっていろいろ調べているうちに、
「関節リウマチの私」が自分の中に定着していって、
超どんよりした状態に。

どんよりネガティブだと、余計に悪化しそうな気がして、
「ダメダメ!そんな精神状態じゃ!」って、無理やりポジティブになりかかったり、
「いや、これ無理ポジですよね・・・」ってそんな自分に突っ込みいれたり。

・・・散らかり過ぎです。


「あれ、まだ確定したわけでもないのに、
私自分で「私は病気です」って決めてるじゃん!」と気づいたのが、
その翌日。


意識で決めた通りの世界を体験するなら、
このままだとマジで「病気の私」を自分自身で選択してしまうことになる。

なんだけど、
「病気の私」という意識がどうしてもうまく手放せなかった。

そこで、
どうしてそこにしがみついてるのか?
その後ろにあるものを自分自身と対話して探ってみた。


出てきたのは、ふたつ。

・深刻に悩むようなしんどい出来事を経験すると、深いことを考える人になれる。
・波乱万丈な私の人生は、一般人と違っていてかっこいい。


「病気の私」には「特別である私」につながる、というメリットがある、と、奥底では思ってたんだなあ。

これが、今まで持ってた無自覚の思い込みであり制限。
毎度のことながら、全く根拠の無い思い込みです。


ここに気づいたら今度は、
「じゃあ、本当はどうしたい?これからは何が体験したい?」
を探っていく。


「私の価値がぁ!」とか「一般人とは違うんで!!」とか、
そういう、自分の価値を証明する、みたいなことはもういらない。
「インスタ映え」的思考は、いらない。

悩みや辛い出来事から学んだものが尊い、はもういらない。
歓喜の出来事から深く学びたい。


私が本当に望むことは、

自分の感覚をただ信頼して、それにしたがって、
見たことない景色や体験への好奇心に満ちた旅みたいに、
自由と、驚嘆や感動を感じまくって生きること。

カラダを自由に動かして、
カラダと自由に遊んで、
感覚全開で世界を体感する時間をいっぱい過ごすこと。



こうやって、「望むこと」までたどり着いて、それがふっと目の前に明らかになった瞬間に、
内側の感覚がふっと変化する。
ほっとするような、通るような、軽さや広がりみたいな。

「あ、こっちで合ってるんだ」という目安は、カラダがちゃんと教えてくれるんだなあ・・・。

もー、今までずっと、何やってたんだろう。
こんなにカラダの感覚を探るのが好きなのに。

ずいぶんと時間がかかっちゃったな~~~。


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真鶴漁港からの眺め。
ここにいる時も、私はとても息がしやすくて、なじみがいい。

先日の記事【私の中にあり続けた「強い逆恨み」】で、
手首と膝の痛みがどうなるのか?と書いたけど、
残念ながら今のところ目立った変化は無い。

もしかして、
そこを問題視し続けることに問題があるのかもしれないなあ、と思ったりもする。

それ、受け入れてないもんなあ。

こいつさえいなくなれば!!
これを解決したら、私はもっとよくなれるのに!っていう発想。


あー・・・、そこかもなあ。
そんな気がしてきたなあ。


自分をもっともっと全面的に受け入れて許すことができるのかもしれない。
何が起きても、
何も起きなくても、
私はそれを「感覚として」体験することができて、
だったとしたら、別に怖がることもない。


思えば、
新しいことを始めたり、
今までと違う環境へ移ることについて、
「失敗したくないな」的な緊張が、やっぱりある。

それも、別にあっていいんだ。

あったまま、
それでも「一番深いところでは怖がらなくて大丈夫~~」と知ってるってことでいいんだ。



そうそう、
その記事に書いているような「内面を観る」みたいなことをしょっちゅうやっているので、
「好きだねー。よくやるよねー。」と言われたりすることもありますが、

掘り返す作業自体がが好きなわけではない。
「無自覚の制限」に気づくために、やっている。


これは、あくまでの私が信じている世界観のお話ですが、

心のベースに「今の私」をどこか否定する気持ちがあって、
その欠乏感を埋めるために何かを解決しようとしていると、
「私には問題があるのです」っていう意識が表現された世界を体験することになる。

何を経験してても、
「私の問題の部分」に自分から光を当ててしまうような感じ。


「私はこういうところが問題」と思ってしまう原因は、
外から無自覚にインストールされた価値観で、
根拠もないし、真実でもない。
ただの思い込みで、勘違い。


「無自覚の制限」って、そういう感じ。


制限に気づいたら、
それを外すことができる。

そしたら、
今までやみくもに「いやいやいや、それは抵抗あるから無理です!」ってしていたものを、
受け入れることができるようになる。

そうなると、
どんどん自由に行動することができるようになる。


私は、どんどん自由になりたいし、
今までの延長線上ではない体験をすると決めたので、
「無自覚の制限」をどんどん解除していきたい。

だから、
「『無自覚の制限』につながっている予感のする違和感」に気づくと、
「キターーーーー!」と思う(笑)。
(好きなんじゃん・・・)



意識が変わるとどのくらい体験できる世界が変わるのか?
に、今はすっごい興味があります。


DSC_0177-2.jpg
木漏れ日って、なんでこんなに気持ちいいんだろうねえ??

かなり体調が回復して、

9月末に引越しをすることもあり、
いろいろな事務手続きとか、なんだかんだと行動しはじめて、
9月に入ってからは、
「家で静養しています」
という感じではなくなってきた。

それでも相変わらず、
膝と手首周りの関節の痛みがあり、
膝を深く曲げるとか、階段降りる動作とか、
重たいフライパンとか、PCのキーボードとか、
「あいたた・・・」となる瞬間があった。


私は、
カラダの症状(だけじゃないけど、ここでは割愛)は意識から作られる
という世界観を信じている。

となると、
この『なかなか引かない痛み」は、
その元になる想念みたいなものがあって、
それに気づく=ってことはそこからもう卒業する時期だよー、というお知らせのために生まれてる、と考えられる。

だとしたら??
もう卒業していいその想念ってなんだろう??

とここ数日ずっと思ってました。
でも、なかなかピンと来るものは現れず・・・。


そしたら、
昨日から今朝にかけて、友達やパートナーと話をしたり、FBで目にした記事、
その中に、
ちょっとした違和感・引っかかるとこがあるのに気づいて、
これは、何かに気づかせるための流れっぽいぞ??と思って
感じてるままに、ノートに書きだしてみた。


出てきたのは・・・

甘え上手で、男の人に頼って守ってもらって、安心できる状態で自分の好きなことをやってるやつなんて、
ずるい!ゆるせない!卑怯だ!フェアじゃない!
そんなやつ大したことできないに決まってる!どうせ主婦の道楽でしょ?
そんなやつらよりも私の方が優れてるに決まってる。
なめんなよ!こっちは本気でやってんだよ。
私は誰にも頼らずに正々堂々とやる。誰の助けも借りない。
自分の力で生きていく。
ひとりでできるもん!

(念のため書きますが、これは事実ではなく、私が抱えている思い込み)


一見、強い恨みのようだけど、
まあ、恨みって、ただのやっかみです。

本当はうらやましいってだけの話。

心の奥底では自分もそうなりたいと願ってるけど、
何らかの理由で「それは無理なこと」と自分で勝手にあきらめてるか、
「それはやっちゃいけない」とがまんしているのを、
他の人がスイスイと苦も無くやってるように見えるから
むきー!!!となってるだけ。


本心では、
私も、甘えて頼って守ってもらって、安心できる状態にいたい。
それを、勝手にあきらめ続けてたんだ、と気づいた。

もうねー、その想念があるから過去にこんな出来事やあんな出来事が・・・!っていうのが思い当りまくりです。


私は第1子なので、
弟が生まれた時、多分そういう思い込みが生まれてしまうような原体験をしたんでしょう。
第1子だと、誰でも通る道だと思う。

それを、40年以上もずーっと深いところで抱え続けていたわけですなー。

インナーチャイルドって言ったりもするけど、
なんか・・・
ほんと、
長いこと、お疲れ、自分。
と思って泣けました。


ちなみに、
こういう気づきがあった時、以前はその自分を責めていた。
こういう風に思ってるからいけないんだ!!!変えなきゃ!って思ってた。

でも、
それがただの自分で作り上げた思い込みだろうが、
「それによって苦しんできた自分」は事実なので、
その自分が「いままで苦しかったね・・・」ということも受け止めてあげる必要があるんだよねえ。

気づいた時点でその思い込みの効力はだいぶ小さくなる。
あとは、気づいたその思い込みとまだ一緒に生きていきたいか?を選んでいく。



さて。さらに今回、

甘え上手で頼り上手で、守ってもらえる人を許せない!!と思うやっかみの気持ちと、
お仕事をちゃんといい状態で回していきたい、という純粋な野望とが、
ごっちゃになってたんだ、と気づいて。


「旦那の給料でやってる主婦の道楽」は許せない!卑怯だ!!!って思ったら、
私は違うもん!そんな卑怯なことしないもん!!!!っていう態度になる。
それは、
「私は誰にも頼らずに生きていけるんだもん!だからちゃんと自分の仕事でお金を稼いでいくんだもんね!!!」
っていうめちゃめちゃ意地を張った状態。


今までは、
そこがごっちゃになってこんがらがっちゃってた!
と気づいたんです。


だから
お仕事がすっごくうまくいった状態ってどんな感じ?
と言われても、なかなか描くことができなかったのかもしれない。

そこに、
うっすらと「純粋な歓び」以外のものが混じってる感じがあった。今思えば。
正体はわからなかったけど、違和感としては感じてた気がする。


この状態だと、
私が成功するってことは、
誰かに守られながら好きにやってる(私から見てそう見える)人たちへの仕返しの意味であり、
こっちの方が正しい!って証明してやる!っていう意味。

自分の純粋な想いじゃなく、
誰かへの当てつけや仕返しのために成功してやる!!みたいなイメージ。


それに気づいて、それを脇にどかした時、

私の中にあるものを表現して、価値を創造して、それを他の人たちにシェアして、
それによってお金をいただいて、さらに豊かさを循環させていく
という意味で、
ちゃんとお仕事をしていきたい、っていう想いもそこにしっかりとあって、
本当に安心しました(笑)。



ああ、
ようやくすっきりした・・・。
これで、進めそうです!!


ということで、
明日膝と手首の症状がどうなるか?!こうご期待(笑)。


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